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明治維新後に家康の悪評が高まったのは

明治政府が江戸幕府を倒して建てられた政権であり、江戸時代を悪とするのが明治政府にとって都合が良いことであったからと言える。特に太平洋戦争前は、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)が大日本帝国における、帝国主義的な領土拡大と合致し、「朝鮮征伐」と称されるほど是とされていたため、「秀吉は清君、それに背いた家康は奸君」と偏った評価をされることが多かった。この時期は家康らの尊敬の対象であった平将門や足利尊氏に対しても朝廷に刃向かった逆賊として批判的な評価がなされていた時期である(尊氏に対しては家康も批判的だったとする説もある)。
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山岡荘八の小説『徳川家康』では、幼い頃から我慢に我慢を重ねて、逆境や困難にも決して屈することもなく先見の明をもって勝利を勝ち取った人物、平和を求める理想主義者として描かれている。この小説によって家康への再評価が始まり、それは現在も続いている。そのため、家康を苦労人・不屈の精神力の持ち主として高く評する者もある。 一方、司馬遼太郎は家康について記した小説「覇王の家」あとがきで、家康が築いた江戸時代については「功罪半ばする」とし、「(日本人の)民族的性格が矮小化され、奇形化された」といった論やその支配の閉鎖ないし保守性については極めて批判的である。

天下を平定したとはいえ、信長・秀吉に比べて守旧的な組織しか作らなかったとして、家康を名君・奸君とするのは過大評価であるとする説もある。家康は、独断で物事を決するよりは、専ら評定を開いては家臣だけで議論をさせ、家臣たちが結論を出したところで決断をするところから、あくまでその議論のまとめ役や政策実行の代表者に過ぎない(部下の使い方がうまいという見方もある)、たまたま長生きしたために天下を取ることができた凡人に過ぎないとする意見もある。武光誠の『凡将家康天下取りの謎』がこの説を採っており、池宮彰一郎の小説『遁げろ家康』もこの観点より書かれている。

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2009年05月29日 08:57に投稿されたエントリーのページです。

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